12月14日は表題の通り、赤穂浪士の四十七人が吉良上野介邸へ討ち入りを果たした日です。
映画「最後の忠臣蔵」やお正月時代劇で「忠臣蔵〜その義その愛」が放送されるなど、忠臣蔵の話題は尽きないですね。
忠臣蔵はいつまでも日本人の心に残る物語ということでしょうか。
忠臣蔵の魅力は、その名の通り「忠義」なのでしょうか。
中村勘三郎さんの大河ドラマ「元禄繚乱」では「権威への反抗」だと描いています。幕府及び幕府高官である吉良への抵抗が赤穂浪士の魅力であると思います。
吉良が浅野内匠頭を苛めた証拠がはっきりしない、という意見がありますが、幕府高官である吉良が証拠を残したりするでしょうか?勅使や院使の饗応に失敗したら責任を問われるのは吉良自身です。そんな吉良ですので、苛めは陰湿なものなります。致命的な苛めにならないように、手加減していたのかもしれません。
苛める側は大したことはない、と思っていても、苛められる側はそうは思わない事が多いはずです。赤穂事件も正にそうだったのではないでしょうか。浅野内匠頭は頭痛持ちだったそうですから、なおさら吉良の苛めが辛かったのではないでしょうか。
要するに、殿中刀傷事件は、権力ある者から、ない者へのイジメが原因だったのではないでしょうか。
もちろん、これだけでなく民衆の人気を赤穂が得ることができたのは、大石内蔵助始め赤穂浪士の工作があったのではないでしょうか?吉良を悪者にして、赤穂浪士を英雄にする、そんな大石内蔵助の術中にまんまとはまったのが吉良や上杉藩だった?! 赤穂の作戦勝ちですね。
というわけで(?)今日は早英ゼミナールのキャラクターとして「早英門(そうえもん)」というのを作ってみました。
本名「矢頭早英門」十三歳です。ご存じかどうか、「矢頭右衛門七(やとうえもしち)」の弟という設定です。実際は妹が二人いたようです。矢頭右衛門七は討ち入り当時十七歳という若さでした。大石内蔵助の息子「大石主悦」に次ぐ若さで、切腹したことになります。美少年だったようで、実は女性には一番人気でした。
矢頭早英門を加えると、赤穂四十七士ではなく四十八士になります。「AKB48」ならぬ「AKO48」というわけですね。
赤穂観光協会のホームページにすばらしい動画がありましたので、ご案内します。