塾で教える日本の歴史 ⑤ 国の誕生(弥生時代)
弥生時代
紀元前4世紀ごろ(1説には紀元前10世紀ごろ)朝鮮半島から稲作が伝わりました。
稲作は九州北部に伝わりやがて東日本にまで広がりました。この時代を「弥生時代」と呼びます。
東京大学近くの文京区弥生の「向ヶ丘貝塚」で薄手で堅め・赤褐色の土器が発見され、
発見場所の名前をとって「弥生土器」とよび、そこから「弥生時代」と名付けられました。
弥生時代のキー・ワードは
稲作・金属器(銅剣・銅矛・銅鐸・銅鏡・鉄器など)・石包丁・高床倉庫などです。
代表的な遺跡は、佐賀県吉野ヶ里遺跡・静岡県登呂遺跡です。
稲作が伝わりお米を収穫するようになると、高床倉庫で米を保存できるようになります。
保存力の差とか共同作業での指導力の差がつき、貧富の差や身分の差ができます。
やがてそれが小さな国の出現を見、人々を支配する有力者(豪族)や王が現れました。
弥生時代には日本には文字がなかったので、遺跡以外にこの時代の様子を伝えるものは、中国の歴史書しかありません。
漢書地理志(紀元前1世紀)・・倭には100余りの国があり、楽浪郡を通じて漢に使いを送っていた。
後漢書東夷伝(紀元57年)・・倭の奴国王が後漢に使いを送り金印を授けられる「漢倭奴国王」印
邪馬台国
魏志倭人伝(3世紀)
後漢が滅び、中国は有名な三国時代に入ります。
劉備・関羽・張飛・孔明・曹操など、男の子の方がゲームで良く知っているかな?
統一王朝がなく、魏呉蜀に分かれて戦った「三国志」の曹操の国「魏」です。
日本の戦国時代や幕末と同じで、戦乱の世の方が面白いのはしょうがないですよね。
是非「三国志」は読んでみましょう。本当に面白いですよ。
ここで始めて日本人の固有人物名が登場します。邪馬台国の女王「卑弥呼」です。
卑弥呼の時代と三国志の時代が同じなのは面白いですね。
卑弥呼はまじないで国を治め、30あまりの国を従えていました。
魏に使いをだし「親魏倭王」という称号と金印、銅鏡100枚を授けられました。
「文くれ(239)と卑弥呼が使いを魏に送る]
邪馬台国があった場所については近畿説と九州説に分かれて、今なお決着がついていません。
「箸墓」が卑弥呼の墓だという説もあり、
近畿地方にあったとすれば、後の大和朝廷(大和政権)と深いつながりがあるのかも知れませんが、わかっていません。
君たちが大学で研究して結論をだしてくれたら、うちの塾も有名になるかも(笑)
矢頭嘉樹