塾で教える日本の歴史 ⑥ 大和政権の誕生(古墳時代)
3世紀に存在した「邪馬台国」と5世紀の「大和政権」との関係がよくわかっていないのは、4世紀の中国が荒れていたためです。
このころ中国は「五胡十六国」時代で、日本に言及した書物がないので「謎の4世紀」と言われています。
ちなみに「大和朝廷」「大和政権」「「大和王権」「大和国家」と呼び名は色々ですが、同じ意味です。
大王(おおきみ)後の「天皇」を中心に豪族が支える国家のことです。
4世紀末、大和政権は、朝鮮の「伽耶(任那)」と結んで「高句麗」や「新羅」と戦い、負けたようです。
そのことは「好太王(公開土王)」の碑に記されています。
謎の4世紀を経て5世紀には近畿地方を中心に九州から東北地方まで大和政権の力は及んでいました。
この頃大和政権は盛んに古墳(前方後円墳)をつくっていました。
大仙古墳(仁徳天皇陵)はその中でも世界最大級の古墳です。面積ではエジプトのピラミッドをしのぎます。
古墳の周りには「埴輪」とよばれる副葬品が置かれました。
土偶は縄文時代、埴輪は古墳時代のものです。間違わないようにしましょう。
5世紀中国が「南北朝時代」に入り、大和政権は南朝の宋に使いを送っていました。
宋書によると、「讃・珍・済・興・武」の5人の倭王の名が伝わっています。
この内「武」は「埼玉県稲荷山古墳の鉄剣」や「熊本県江田舟山古墳の鉄刀」に記されている
「ワカタケル大王(雄略天皇)」のことと考えられています。
古墳時代は大和政権の統一がすすんだ4世紀から6世紀末の時代区分です。
この間大陸から渡来人が、鉄製の農具や須恵器・漢字・儒教また仏教を伝えました。
「百済から仏教ご参拝(538年)」
だんだん国家の様相が整ってきます。
矢頭嘉樹