塾で教える日本の歴史 ⑦ 聖徳太子(飛鳥時代)
6世紀、大和政権は有力豪族による連立政権でした。
地方の豪族が反乱をおこしたり(磐井の乱)、物部氏や蘇我氏が大王の座をねらったり(崇峻天皇暗殺事件)、
安定した政権ではありません。
仏教を認めるかどうかで、蘇我馬子が物部氏を滅ぼしたりもしました。
この争いを和らげようと女性である推古天皇を立て、おいの厩戸王(聖徳太子)が摂政として、
蘇我馬子と協力しながら政権を安定させようとしました。
争いを抑えるために女帝を立てるというのは、卑弥呼を思い出させます。
摂政とは、天皇が子どもであったり女性であるときに天皇のかわりに政治をおこなう人のことです。
天皇が成人しても代わりに政治を行なう役割は関白といいます。
「ご苦労さん(593)聖徳太子が摂政へ」
厩戸王というのは、太子が「馬小屋」で生まれたことから名づけられたようですが、同じく馬小屋で生まれた「イエス・キリスト」を思い起こさせます。
近年「十七条憲法」が日本書紀の捏造であるという説もあるようです。もしそうであっても聖徳太子としての業績には疑問符がつくかもしれませんが、「厩戸王」という優秀な皇族の存在に変りがあるわけではありません。なのでか高校教科書では「聖徳太子」ではなく「厩戸王(聖徳太子)」と書かれていますが中学教科書では「聖徳太子」のままです。来年中学の教科書が変わるのでどうなっているか楽しみです。
しかし、十七条憲法の素晴らしさからいって、作成者が誰であろうと聖徳太子並のすぐれた人物の業績であることはまちがいありません。するとその人を「聖徳太子」と呼んでも良いのではないでしょうか。つまり「聖徳太子」は実在したのです。
聖徳太子の業績は重要なのできちんと覚えていきましょう。
・冠位十二階制度・・家柄にとらわれず才能ある人物を取り立てました。
・十七条の憲法・・役人の心構えを示したものです。
第一条に「和」をもって貴しとなすとあります。話し合いが大切ということですね。
第二条は「あつく三宝を敬え。三宝とは「仏法僧」で仏教の教えを取り入れました。
第三条は「詔をうけたまわり手は必ずつつしめ」天皇中心の国家を作ろうとしました。
「十七条憲法、群れ寄る(604)役人数知れず」
・遣隋使の派遣・・「日出るところの天子、書を日没するところの天子にいたす」と対等外交を示しました。
隋が日本史に登場するのはこのころだけで、あっさりと滅びました。
「小野妹子らが群れなし(607)渡る遣隋使」
・その他聖徳太子関連では、世界最古の木造建築「法隆寺」・釈迦三尊像・玉虫の厨子などです。
法隆寺ではあのギリシャの「パルテノン神殿」と同じく柱にふくらみのある「エンタシス」という技法が使われていました。
ギリシャ文明と繋がりがあったということですね。
十七条憲法についての注釈
聖徳太子の十七条憲法については、一条から三条までが有名ですが、その名の通り十七条まであります。では聖徳太子はこの憲法で何を言っていたのか、中学生にもわかるように注釈をつけてみました。
今の「日本国憲法」もそうですが、憲法は一般国民に対してというよりは、政治家・官僚・役人に対しての「心構え」であるのが第一義ですね。
第一条 和を大切にし、いさかいをおこさないことを根本としなさい。
協調の気持ちをもって論議するならば、おのずから道理にかない、どんなことも成就するものだ。
(注) 「和」が「平和の和」だとするならば、日本国憲法九条にも通じるものがありますね。
「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。陸海空軍その他の戦力は保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
第二条 あつく三宝を敬いなさい。三宝とは「仏・法・僧」のことである。
仏の教えに従えばまがった心を正くすることができる。
(注) お経を見ていて気付いたこと。聖徳太子は日本の仏教の第一人者でありました。
第三条 天皇の命令には必ず従いなさい。詔に従わなければ敗れていくだろう。
(注) 武士の世でも朝廷は健在でしたね。
第四条 役人は「礼」の精神を根本に持ちなさい。
(注) 公務員・官僚に道徳心がなければ国が乱れるということ。
第五条 官吏は饗応や財物への欲望を捨て、訴訟を厳正に審査しなさい。
(注) 賄賂などとんでもない。三権分立を守り、裁判所は行政の言うことを聞くのではなく、法と良心に従うこと。
第六条 勧善懲悪は古来よりの良い典である。
(注) 悪は見逃してはいけない。良い行ないは認めないといけない。見て見ぬ振りをしてはいけない。上に媚びへつらってはいけない。
第七条 人にはそれぞれ任務がある。職務を忠実に履行し権限を乱用してはならない。
事柄の大小に関わらず、適任の人を得られれば必ずうまくいく。
古の聖王は職に適した人を求めたが、人のために官職を設けたりはしなかった。
(注) よこしまな人間がトップにつけば、災いや戦乱が充満する。
第八条 官僚は朝早く出仕し、遅くまで仕事をしなさい。
(注) 今の公務員はどうなのでしょうか。
第九条 「信」は「義」であり「人の道」の根本である。
官吏に真心があるならば何事も成功するだろう。
公務員に真心がなければ、どんなこともうまくいかないものだ。
(注) 「信」とは嘘を言わず、言行が一致すること、欺かないことであり、それが「義」つまり「人間としての正しい道」につながります。
第十条 心の中の憤りをなくし、憤りを表情に出さぬようにせよ。
人が自分と違うことをしても怒ってはならない。
自分だけが正しく、人が必ず間違っているとはいえない。だれもが賢く又愚かでもある。
(注) 官僚や政治家だって間違いを認めないといけないですよね。国のやることは絶対正しいなんてことはありません。
第十一条 官僚たちの功績・過失をよく見て、それに見合う賞罰を必ず行ないなさい。
(注) 役人の失敗はお役所ぐるみで隠そうとしてはいないでしょうか。罪を負うべき企業が罰を逃れてはいないでしょうか。
第十二条 役人(政治家)は勝手に人民から税を取ってはならない。天皇だけが主である。
役人(政治家)は任命されて政務にあたっているのである。
(注) これは本当にそう思います。法律を作る立場であるからといって、勝手に増税がらみの法律ばかり作ってはいけない。
第十三条 いろいろな官職に任じられた者たちは、前任者と同じように職務を熟知するようにしなさい。
前のことなど自分は知らないといって公務を停滞させてはいけない。
(注) 勉強していい大学に入って、国家公務員になったからもう勉強はしなくていいなどと思ってはいないでしょうね。国のため国民のために勉強しましょう。
第十四条 官僚は嫉妬の気持ちを持ってはいけない。
自分より才能があるからといって押さえつけてはいけない。
聖人・賢者といわれる人がいなくては国を治めることはできない。
(注) 今の日本に「聖人や賢者」はいるのでしょうか? 「地上の星」はどこにあるのでしょうか。(中島みゆき)
第十五条 私心を捨てて公務に向かうのは、官僚の道である。
私心があるとき恨みの心がおきる。恨みがあると不和が生じる。
不和が生じると公務の妨げとなる。
第一条で「上の者も下の者も、協調・親睦の気持ちを持って論議しなさい」というのはこういう心情からである。
(注) 「私心を捨てる」ということは難しいですね。でもその気持ちが大切なのだと思います。
第十六条 人民を使役するにはその時期を良く考えてする、とは昔の人の良い教えである。
春から秋までは農耕に力を尽くし、人民を使役してはいけない。
(注) 徴兵制なんて、とんでもない。一年の内の時期だけでなく、一生の内の大切な時期も考えて貰いたい。子育て時期にはお父さんもお母さんもある程度仕事から解放してあげたいものです。
第十七条 ものごとは一人で判断してはいけない。必ず皆で論議し判断しなさい。
重大な事柄を論議する時は、判断を誤ることがあるかもしれない。
その時皆で検討すれば道理にかなう結論が得られよう。
(注)) これは民主政治のことをいっているようにとれます。第一条と同じく「和をもって貴しとなす」は日本の根本原理なのですね。
(参考)金冶勇「聖徳太子のこころ」
ここまで読んできて本当に感動しました。
1400年前の聖徳太子の言葉は、そのまま現代日本にあてはまります。
日本国憲法の原点は「十七条の憲法」だということがよくわかります。
矢頭嘉樹