塾で教える日本の歴史 ⑪ 平安京(平安時代1)

平安時代はおよそ400年に及ぶ長い時代区分です。

この400年は誰に主要権力があったかで、4つの時代に分けることができます。

8世紀終わりから9世紀後半までを「天皇」の時代

9世紀後半から11世紀後半を「藤原氏」の時代

11世紀後半から12世紀中ほまでを「院政」の時代

そして平安時代の終わりごろは「平氏」の時代といえます。

院政の時代以降を中世とよびます。

天皇の時代

 「なくよ(794年)うぐいす平安京」

このきれいなごろ合わせから平安時代は始まります。

桓武天皇は「強大な力を持つようになった仏教勢力を排除するため」平安京に遷都したといわれています。

これが平城京に比べ平安京に大きな寺院が少ない理由です。

また平城京は、大きな川がなく物資の運搬や水不足に悩まされていたのも遷都の原因です。

平安京は江戸時代終わりまで1000年以上日本の都でした。平安京が千年の都と言われる所以です。今の首都は「東の京」ですからね。

ちなみに京都の人は今も「天皇さんは仮に東京に行かれているので、そのうち帰ってこられる」と考えているようです。

桓武天皇は天皇権力の増大のために「長岡京や平安京の造営」と「東北地方平定」を進めました。

朝廷に従わない東北地方の「蝦夷」に対し、朝廷は「坂上田村麻呂」を「征夷大将軍」に任命しました。

坂上田村麻呂は「丹沢城」を築き蝦夷の英雄「アテルイ」を帰順させました。

勇者アテルイの命を救おうと、助命を桓武天皇に願い出た田村麻呂の願いは届きませんでした。

 「泣くな(797年)将軍田村麻呂」

坂上田村麻呂は京都の有名な「清水寺」を造りました。

平安新仏教

遣唐使と共に唐に渡った「空海」と「最澄」は、人里離れた山奥で厳しい修行や学問に励む「密教」と呼ばれる新しい仏教をおこしました。

空海は、高野山、金剛峯寺で「真言宗」

最澄は、比叡山、延暦寺で「天台宗」を伝えました。

最澄の覚え方  「ヒエー天才」(比延天最)

空海のごろ合わせはまだ考えていませんので、誰か考えて下さいね。

 「高野豆腐 食うかい? 」お粗末・・・・

空海は「弘法大師」ともいわれ、「弘法筆を選ばず」や「弘法も筆のあやまり」などのことわざが残されています。私的には「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」という塾みたいなもの?を作ったので親しみがあります。

一方最澄は「伝教大師」と呼ばれ、比叡山は仏教の東大みたいなものだったでしょうか。

遣唐使の廃止

9世紀には「唐の衰え」と「往復の危険」を理由に菅原道真は「遣唐使の停止」を訴え認められました。

この頃唐は国内が乱れ、安心して学べるような状態ではありませんでした。

また朝鮮と日本との関係も良くなかったので、短い航路が利用できず、危険がいっぱいでした。

 「白紙に(894年)戻した遣唐使」

菅原道真は後に藤原氏の陰謀で、大宰府に左遷され亡くなってしまいます。

しかし道真の怨霊が祟るという噂が流れ、道真は雷の神様として祀られるようになりました。

菅原道真はとても頭が良かったので、現在は「学問の神様」として有名で、

東京では「湯島天神」関西では「北野天満宮」九州は「大宰府天満宮」に祀られています。

是非一度行ってみましょう。

藤原氏の時代(摂関政治)

貴族の中の貴族「藤原氏」はほかの貴族を退けて、娘を天皇の妃にし、その子を次の天皇に立てることで勢力を伸ばしました。

次の天皇にとってみれば「母親の父つまり祖父」であるので影響力があるというわけです。(外戚といいます)

そして天皇が幼い時には「摂政」として、成人すれば「関白」という天皇を補佐する職について実権を握るようになりました。

こういう政治を「摂関政治」とよび、11世紀の「藤原道長」とその子の「頼通」の時に全盛をむかえました。

 「人はいろいろ(1016年)道長摂政」

道長は4人の娘を天皇の妃にし、絶大な権勢を誇りました。

「この世をば わが世とぞ思う 望月の欠けたることも 無しと思えば」

国風文化

遣唐使の廃止により、唐の影響力から逃れ、日本の風土や感情に合った文化が生まれました。

これを国風文化といいます。国風文化は摂関政治の頃最も栄えました。

漢字を変形させた「ひらかな」・漢字の一部を取った「カタカナ」などを「仮名文字」といいます。

仮名文字を利用して国風文化の時代には様々な文学作品が生み出されています。

紀貫之が編集した「古今和歌集」・・最初の勅撰和歌集(天皇の命令で編集された)

紫式部の「源氏物語」・・世界最古の長編恋愛小説。(あはれ)の世界。

清少納言の「枕草子」はすぐれた随筆(エッセイ)です。(をかし)の世界。

紫式部は道長の娘「中宮彰子」に仕え、清少納言は「皇后定子」に仕えていました。

いずれも今でいう「キャリアウーマン」で、とても良いライバルだったようですね。

貴族の住まいは「寝殿造り」と呼ばれる日本風のもので、貴族の男子は「衣冠」「束帯」、女性は「十二単」とよばれる優美な「女房装束」の服装をしました。

美術では「源氏物語絵巻」などなだらかな線を持つ大和絵がこの時代を表現しています。

浄土信仰

摂関時代は「怨霊信仰」が広まり、祈祷を通じて現世利益を求める貴族と強く結び付きました。

一方奈良時代からの仏と神は同一であるとする「神仏習合」も進み、「本地垂迹説」が生まれました。本地垂迹(ほんじすいじゃく)とは、日本の八百万の神々は、実は様々な仏や菩薩が化身として日本の地に現れた権現であるとする考えです。例えば「天照大神」は「大日如来」の化身と考えることです。

末法思想も流行し、念仏を唱えて阿弥陀如来にすがり、死後浄土に生まれ変わることを願う浄土信仰が広がりました。

空也や源信が説き、貴族だけでなく庶民にも広がりました。

藤原頼通の「平等院鳳凰堂」はこの時代の代表的な建築で、10円玉にもデザインされています。

高校生には「大和和紀」が源氏物語を描いた漫画「あさきゆめみし」を薦めるのですが、中学生には早いでしょうね。

大学受験前の高2くらいに読むといいですよ。

矢頭嘉樹

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