塾で教える日本の歴史 ⑯ 英雄の時代(安土桃山時代)
・中国の歴史においては、項羽と劉邦が活躍した「秦の滅亡から漢の誕生」にかけての時代、
そして「漢の滅亡の時代」すなわち「劉備・関羽・張飛そして孔明や曹操」の活躍する「三国志」の時代が人気があります。
・日本では「織田信長・豊臣秀吉・徳川家康」の活躍する「戦国時代から江戸時代にかけての時代、
また「勝海舟・坂本龍馬・西郷隆盛」の活躍する幕末が圧倒的に人気がある時代ですね。
漢の誕生と滅亡、江戸幕府の誕生と滅亡。いずれも激動の時代に人は引き付けられるということだと思います。
歴史は人間が作る・・・そんな言葉がピッタリの3人(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)の英雄の物語です。
信長…革新的・合理主義者で近世の扉を開いた。
秀吉…農民から身を起して天下を統一した・人たらしの名人・陽気で派手。
家康…狸親爺・ずる賢い・ケチ・陰気で地味。
3人にはこんなイメージがありますが、これでは徳川家康がかわいそうです。徳川260年の平和を築いた創始者です。頭がよく先見の明があり、苦労しているだけに人の気持ちが分かる人ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
こちらの方がいいですね。
信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」
家康「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」
ヨーロッパ人との出会い
1543年ポルトガル人を乗せた中国の「倭寇」の船が鹿児島県種子島に流れ着きました。
この時日本に初めて鉄砲が伝来しました。
鉄砲は戦国大名に新兵器として注目され、各地に広がりました。
まもなく堺(大阪)など各地で「刀鍛冶」によって生産が始められ、日本は世界一の鉄砲生産国となりました。
鉄砲が普及したため、戦い方法が大きく変わり、全国統一が促進されました。
「鉄砲伝来 以後夜道(1543年)は歩けない」
また1549年にはイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、キリスト教を伝えました。
「以後よく(1549年)拝めキリスト教」
キリスト教は先ず九州各地に広まり、キリスト教徒になる大名(キリシタン大名)も現れました。
1582年には、九州の大村氏・大友氏・有馬氏らのキリシタン大名は「天正遣欧少年使節」をローマ教皇の元へ派遣しました。
また宣教師は教会・孤児院・病院などを造り慈善活動も行ったので、民衆にも広まり、17世紀には信者が30万人にもなっています。
宣教師だけでなく、ポルトガルやスペインの商人たちも日本にやってきました。
彼らは日本に「火薬・時計・ガラス製品・中国の生糸や絹織物」をもたらし、日本からは「銀」が出て行きました。
ポルトガル人やスペイン人は「南蛮人(南からきた野蛮人)」と呼ばれたので、この貿易を「南蛮貿易」といいます。
鉄砲はポルトガルの「ポ」、キリスト教はスペインの「ス」と覚えましょう。
織田信長
武士の中でも人気ナンバーワンはこの人「織田信長」でしょう。
尾張の戦国大名だった織田信長の戦いを時系列で紹介します。
1560年、「桶狭間の戦い」で「今川義元」を破ります。
「信長に 義元 イチコロ(1560年)桶狭間」
1570年、「姉川の戦い」で朝倉・浅井の連合軍を打ち破りました。
1571年、「比叡山焼き討ち」・・この時代の寺社は武装しており一大勢力でした。今の平和な寺社とは大違いです。
1573年、将軍「足利義昭」を京から追放し、室町幕府は滅亡しました。
「以後なみだ(1573年)の室町幕府」
1574年、伊勢長島の一向一揆を鎮圧しました。
1575年、「長篠の戦い」・・鉄砲隊を用いて武田勝頼を破った戦いで有名ですね。
・信長の政策
・・・武力をもって天下を取るという「天下布武」を掲げて全国統一を目指しました。
都に近い琵琶湖のほとりに豪華で壮大な天守閣を持つ「安土城」を築き拠点にしました。(現存していません、残念)
・・・「座」の特権や「市」の税を免除する「楽市楽座」の制度を導入し、関所も廃止したので、商工業が発展しました。
楽市楽座の「楽」は英語の「Free」ですね。「自由・無料」を表します。
・・・その他、仏教勢力を牽制し、キリスト教を保護しました。これは南蛮貿易での利益が目的でした。
・1582年本能寺の変・・天下統一を目前に、明智光秀の謀反により京都本能寺で自害しました。
「信長が 十五夜に(1582年)散る本能寺」
「敵は本能寺にあり」とは光秀の言葉です。
本能寺の変は、明智光秀の単独犯なのか、そうであれば理由は何なのか? 影幕はいるのか? 大きな謎があります。
影幕がいるとしたら、それは誰なのでしょう? 秀吉説・家康説・足利義昭説・朝廷説・イエズス会説、色々な説がありますが、真相はいかに?
豊臣秀吉
いわゆる「中国大返し」「山崎の合戦」で明智光秀を倒し、信長の後継者となったのは、「豊臣秀吉」でした。
さらに秀吉は「賤ヶ岳の戦い」で柴田勝家を破り、信長の後継者の地位を固めました。
秀吉は百姓出身から関白にまでなった、日本史上最高の出世をした人物として有名ですね。
はじめは木下藤吉郎という名から、織田信長より「羽柴秀吉」という名前を与えられ、さらに関白就任後には朝廷より「豊臣秀吉」という姓を与えられています。大化の改新で中臣鎌足が藤原鎌足になったことを思い出させます。
ちなみに豊臣秀吉のことを親しみをこめて「太閤さん」と呼びますが、太閤というのは関白を辞めた人のことで史上何人もいますが、普通太閤というと秀吉の事を指します。
・豊臣秀吉の統一事業・・・1583年石山本願寺の跡地に大阪城を築き、1590年小田原城攻めにより北条氏を倒し、信長亡き後8年で全国を統一しました。
・兵農分離・・・農民の反抗を防ぎ、農業の安定をはかるため、武士と農民を区別する「兵農分離」を進め、これにより社会が安定していきました。
・・太閤検地・・・全国の田畑を統一の「石高」であらわし、年貢を確保しました。
・・刀狩・・・農民から刀や鉄砲を取り上げ、農業を安定させました。
「刀狩、以後は刃物(1588年)禁止だよ」
・経済政策・・・秀吉は多くの領地や鉱山からの利益で権力を強化していきます。
佐渡金山・生野銀山・石見銀山などを開発し、大判・小判など統一的な金貨を発行していきます。
また大阪、京都、堺など重要な都市は直接支配しました。
・宣教師の追放・・・キリスト教の布教が、スペインやポルトガルの侵略政策と結びついていることを危険視し、バテレン追放令を出しましたが、南蛮貿易は奨励しました。
・朝鮮侵略・・・全国統一後の1592年、明の征服を目指して15万の大軍を朝鮮に派遣しました。(文禄の役)
「秀吉が、異国に(1592年)大軍、朝鮮侵略」
更に1597年には再度出兵しましたが(慶長の役)、1598年の秀吉の病死とともに引き上げました。
朝鮮出兵の目的は定かではありませんが、前項のスペインの侵略に備えて、「明が植民地化される前に日本の支配下に置く目的があった」という説もあります。いずれにせよ日朝双方に大きな傷跡を残し、豊臣家没落の原因ともなりました。
桃山文化
統一政権が出現した安土桃山時代には、権力や富を背景として「豪華壮大」な文化が生まれました。
・天守閣・・・安土城・大阪城・そして世界遺産である姫路城など壮大な城は高くそびえる天守閣を持ち、書院造りが取り入れられ、「狩野永徳」などにより華やかな屏風絵やふすま絵が描かれました。
現在に繋がる白鷺城とよばれる姫路城は1610年徳川家康の命により池田輝政が造営しました。
(私事ですが、私の出身である「姫路東高校」の校舎からは姫路城の姿が拝めました。高校のときはずっと美しい姫路城を見ながら勉強していたわけです。すごいと思いませんか?)
・茶の湯・・・信長・秀吉に仕えた「千利休」が「わび茶」を完成。
・かぶき踊り・・・「出雲阿国」という女性が。後の歌舞伎となる「かぶき踊り」で人気を得ました。
・南蛮文化・・・南蛮貿易により「パン・カステラ・カルタ・時計」などが伝わり、
また「世界地図・地球儀」や天文学・医学など新しい学問や技術がもたらされました。
活版印刷術も伝えられ、平家物語などが「ローマ字」で印刷されました。
矢頭嘉樹