塾で教える日本の歴史 ⑲ 江戸幕府の3大改革(江戸時代 3)

享保の改革

8代将軍徳川吉宗は御三家の一つ紀伊の藩主でした。

吉宗は米の値段の安定に努めたので「米公方」とも「暴れん坊将軍」ともいわれます。(冗談です。暴れん坊将軍はテレビドラマでした。)

当時幕府は財政難に苦しんでおり、そのため吉宗は武士に質素・倹約を命じました。

徳川吉宗の財政改革の政治を「享保の改革」といいます。

上げ米の制・・・参勤交代をゆるめるかわりに、各藩から幕府に米を献上させました。

・足し高の制・・・優秀な人物を取り立てるにあたって、役職についている間は米を支給し石高を上げ採用していく制度です。役職から外れたら元に戻しました。

公事方御定書・・・裁判の基準を定めました。

・目安箱の設置・・・庶民の意見を聞き政治に生かしました。

・農業対策・・・新田開発を奨励し、年貢率を上げ、豊作不作にかかわらず年貢率を固定しました。増税ですね。

これにより、一時的に幕府の財政は好転しました。

しかし貨幣経済の進展で貧富の差が広がり、農村では百姓一揆が、都市では打ちこわしが起こりました。

 享保は いいな ヒーロー(1716年) 徳川吉宗

徳川吉宗の子で9代将軍徳川家重はあまり評判がよくありませんが、障害者(脳性まひ)であったという説もあります。

障害者であっても頭脳は明晰であったので将軍になれたのでしょうか。江戸時代ならではかもしれません。

吉宗及び家重の子から、御三家に次ぐ御三卿(田安家・一橋家・清水家)の三家が分立し将軍後継者を提供する役割を担いました。

田沼意次の政治

家重に取り立てられ、10代将軍徳川家冶の治世下で老中となったのが田沼意次です。

意次で思い浮かべるのは「ワイロ政治」ですが、実際はどうだったのでしょう。

田沼意次は商工業者の力を利用して幕府財政を立て直そうとしました。

・株仲間をつくることを奨励し、特権を与えるかわりに営業税をとりました。

・また、長崎での貿易を活発にし、蝦夷地の開発計画をつくり、清へ俵物を輸出し、ロシアとの通商も考えていました。

・印旛沼の干拓を行ない、新田を増やしました。

意次の時代は、積極的な経済政策で、自由な風潮が生まれ学問や芸術が発展しましたが、地位や特権を求めて「ワイロ」が横行しました。

1782年天明のききん、翌年の浅間山大噴火があり、百姓一揆が増加し、意次は失脚しました。

 ワイロは いいな なに(1772年)が悪い

寛政の改革

田沼意次失脚前後、各地で百姓一揆や打ちこわしが起き、世の中は混乱していました。

11代将軍徳川家斉のもと、老中首座「松平定信」が祖父である徳川吉宗の政治を理想とする改革を始めました。

享保の改革と同じように、武士に質素・倹約を求めました。

・囲い米・・・凶作・ききんに備えるため、各地に倉を設けて米を蓄えさせました。。

・旧里帰農令・・・農村復興のために、江戸などに出稼ぎに来ていた農民を村に帰しました。

・寛政異学の禁・・・昌平坂学問所をつくり、朱子学以外の学問を禁じました。

・棄捐令・・・旗本・御家人の生活苦を救うため札差からしている借金を帳消しにしました。

寛政の改革は、非常に厳しいものであったため、民衆の不満が高まり失敗に終わりました。

「白河の清きに魚の住みかねて、もとのにごりの田沼恋しき」

諸藩の財政改革

江戸時代でも17世紀(1600年代)は、元禄時代を代表として、文化・経済とも順調に見えます。

しかし18世紀に入ると、幕府も藩も財政赤字に苦しむようになります。

要因は「農村からの収入の減少」が考えられます。

江戸時代は「小氷河期」に入ったとされ、天候不順な時代だったようです。

天災飢饉の頻発と共に貨幣経済の進展による貧富の差が拡大し、農村は疲弊していったと考えられます。

貨幣経済の進展とともに商人の力が増していくのですが、商人に対する幕府・藩の課税が充分ではなかったのではないでしょうか。

富裕町人は大名にお金を貸し(大名貸し)高い利息を取ったので、藩は赤字に苦しむようになります。

財政難に苦しむ諸藩は、藩札と呼ばれる独自紙幣を発行したり、家臣の俸禄を減らしたりしました。

「武士は食わねど、高楊枝」ですね。

藩政改革として米沢藩(山形)の「上杉鷹山」が有名です。

新しい学問(文化文政の時代)

18世紀後半から19世紀、11代将軍徳川家斉の時期を中心とするのが「化政文化」です。

寛政異学の禁は「昌平坂学問所」という幕府設立の、いわば国立大学だけの話で、江戸時代には「万葉集」や「源氏物語」など日本の古典に関する学問が進みました。

18世紀半ば、本居宣長は日本古来の伝統を評価する「古事記伝」を著し、国学を大成しました。

また杉田玄白や前野良沢が、ヨーロッパの解剖書を翻訳した「解体新書」を出版し、平賀源内は「エレキテル(発電器)」を発明、シーボルトが長崎で「医学塾」を開くなど、「蘭学」(オランダ語でヨーロッパ文化を学ぶ)が盛んになりました。

伊能忠敬は全国の海岸線を測量し、正確な日本地図を製作しています。

教育では、京都や大阪で学者が私塾を開き、武士だけでなく町人・百姓も入門しました。

大阪の医者緒方洪庵の「適塾」には全国から弟子が集まったほか、諸藩でも「藩校」で武士に学問を教え、庶民は「寺子屋」で「読み書きそろばん」を習いました。

寺子屋は今の小中学校のようなもの? それとも学習塾のようなものでしょうか? 藩校は、今も高校の名前に残っていますね。山形米沢の「興譲館」がその例です。

化政文化

19世紀初めには文化の中心が、江戸に移りました。

この時代の庶民中心の文化を、文化文政の元号から「化政文化」と呼びます。

江戸時代の2つの文化は表で覚えていきましょう。

  元禄文化 化政文化
時代 17世紀後半〜18世紀前半 18世紀後半から19世紀前半
特色 上方(大阪・京都)中心 江戸中心
文学 小説・・井原西鶴
人形浄瑠璃・・近松門左衛門
俳諧・・松尾芭蕉
小説・・十返舎一九・滝沢馬琴
俳諧・・与謝蕪村・小林一茶
狂歌・川柳の流行
絵画 装飾画・・尾形光琳浮世絵・・菱川師宣 錦絵・・喜多川歌麿・葛飾北斎  東洲斎写楽・歌川(安藤)広重

外国船の出現と異国船打ち払い令

1792年 ロシア「ラクスマン」が根室に来航。通商要求。

1804年 ロシア「レザノフ」が長崎へ来航。通商要求するが幕府は断る。

1808年 イギリス「フェートン号事件」軍艦が長崎に侵入。まきと水、食料を要求。

1825年 異国船打ち払い令

1837年 アメリカ「モリソン号事件」日本の漂流民を送り届け、通商を要求するが砲撃する。

1839年 「蛮社の獄」外国船打ち払いを批判した、渡辺崋山と高野長英を処罰。

天保の改革

1830年代に天保の飢饉が全国を襲い、多くの餓死者がでて、百姓一揆や打ちこわしも頻繁に起こりました。

元大阪の町奉行所の役人「大塩平八郎」は奉行所の対応に不満を持ち、1837年弟子など300人で大商人を襲い、米や金を苦しむ人々に分けようとしました。(大塩の乱)幕府は役人の蜂起に衝撃を受けました。

12代将軍徳川家慶のとき、老中水野忠邦は幕府の力を回復させようと「天保の改革」を行ないました。

江戸の3大改革(享保・寛政・天保)はみんな内容が似てるのでややこしいですね。

倹約を勧める・農村の強化(年貢の強化)・株仲間の解散・武士の救済などが共通しています。

その天保の改革の内容です。

・倹約令・ぜいたく品の禁止・出版・風俗の取締

・農村の再建・・農民の出稼ぎ禁止・人返し令(農村に帰らせる)

・株仲間の解散・・物価引下げをはかった

・印旛沼の干拓を再開

・異国船打ち払い令をやめて、薪水給与令をだす。(燃料と食糧の補給を認める)

アヘン戦争で清がイギリスに敗北したことを知ったため。

・改革の失敗・・江戸や大坂周辺の農村を幕領にしようとしたが大名や旗本の反対で失敗。

          水野忠邦は2年で老中をやめさせられました。

雄藩の成長

薩摩藩・長州藩・肥前藩は財政立て直しに成功し、雄藩として政治的発言権を持つようになりました。

渋染一揆

岡山藩で出された倹約令に、えた身分への差別が含まれていたため、一揆や抗議がおき、藩は倹約令を実施できませんでした。

享保の改革でユーチューブを検索したら、予備校・塾の動画がいっぱいでてきました。

中学生向きのは味もそっけもないので、大学入試用の上の動画が一番面白かったです。噂の「マナビー」ですね。

中学生のみんなは予備校での大学入試講義の雰囲気を味わって下さい。全部覚える必要ないですよ。

勝手にリンクして良かったのでしょうか?

早英ゼミナール 塾長 矢頭嘉樹

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