2010年10月20日の朝日新聞に鳥飼玖美子さんのインタビューが載りました。鳥飼さんはアポロ11号月面着陸時の同時通訳として有名ですが、現在は立教大学の教授をされています。
「これからの英語」と題されたインタビューは、私も感じていたことを代弁してくれたように思いますので、ご紹介します。
先ず、鳥飼氏は現状の英語教育が「コミュニケーション重視」になりすぎていると指摘します。読み書きの基礎ができていないため、英語の基礎学力が低下している、「コミュニケーション重視」「読み書き重視」の両方が必要なのに、今の子供たちは両方できなくなっていると英語教育に警鐘を鳴らします。
ではどうすればよいか。
ある程度の基礎力をつけることで学校教育は使命を果たしたと考えるのが良いとのことです。後は本人の努力次第。確かに必要性を感じない人にいくら英語を教えても無駄ですね。基礎力さえあれば、必要な時に必要な人が学ぶことができると私も思います。基礎力とはこの場合「学びの姿勢を身につけること」でしょうか。
更に「英語に関してパラダイム・シフト」が必要だと指摘されています。
「グローバル化時代において英語が国際語であるということの意味」とは何か、ということです。
それは、「英語はネイティヴだけのものではない」ということです。
米英人などネイティヴは4億人、それに比べて英語を外国語として使う人々、ノンネイティヴは10数億人います。我々が英語を使う相手はノンネイティヴである確率の方がはるかに高い。これはつまり英語は米英人の基準に合わせる必要がないということです。
「意味が通じるなら、それでいい」のが国際共通語としての英語であると考えるのです。そうであるならば発音もスペルも細かいところまで気にする必要がないということです。RとLの発音や三単現のSだってそんなに気にすることはなくなる、というのが鳥飼玖美子氏の主張です。
日本人は日本人らしい英語を話し、中国人は中国人らしい英語を話す。でも英語としての基本を守っているので、英語として通じる、コミュニケーションができる。これがあるべき国際共通語としての英語である。
そのコアとしての英語とは何か、ヨーロッパ中心に研究がすすんでいるということです。
次の鳥飼氏の言葉は特に印象的でした。皆さんはどうお考えですか。
「国際共通語としての英語にはもう一つ重要な要素があります。それは自分らしさを出したり、自分の文化を引きずったりしてもいい、ということです。『アメリカ人はそうは言わない』と言われたら『アメリカでは言わないでしょうが、日本では言うんですよ』。それでいいんです」
最後にちょっと私の意見も加えておきます。
様々な分野での「研究論文」は殆どが英語を使って書かれています。その研究論文 は「引用回数」でも評価されるはずです。
ということは、多くの研究者に引用されるような研究論文は英語の方が有利であると思われます。
であるならば、英語教育は「文法・訳読」もさることながら「英作文」を重視する必要があると思うのですが、いかがでしょうか。