近隣の中学校で「原子記号」を20番まで覚えてくるようにという宿題がでているらしい。
そんな時はこれ!
周期表の覚え方。「原子記号の歌」
光村図書中学3年の国語教科書で、「論語」が取り上げられています。
それが意外と(?)面白く、為になるので紹介します。
取り上げられているエピソードは4つ。
今日はその内の2つを紹介します。
まずは「これを知る者は・・・」
子曰、「知之者、不如好之者。好之者、不如楽之者」
(ある知識について)「これを知っている者は、これを好んでいる者に及ばない。
またこれを好んでいる者は、これを楽しんでいる者に及ばない。」
つまり、好きだという者は、ただ単に知識を持っているだけの者より優れている。
好きこそものの上手なり。
しかし最も勝っているのは、「楽しむ境地に達している者」である。
折角勉強するのだったら、楽しんでしましょうということですね。
生徒に感想を聞くと、「苦手科目はなかなか楽しむことは難しい」ということでした。
次は「学びて思わざれば・・・」
子曰、「学而不思則罔。思而不学則殆。」
「学ぶだけで、自分で考えないと物事の道理を明確につかむことができない。
考えるだけで学ばないと、独断に陥って危険である。」
人や書物から学ぶこと、そして充分考え研究すること、両方が大切ということです。
5月27日は「百人一首の日」だそうです。
1235年藤原定家によって小倉百人一首が完成された日です。
百人一首とは100人の歌人の和歌を一人一首ずつ選んで作った和歌集のことです。
こどもの頃から日本人の心にきざまれていますよね。
あなたは何首暗唱できますか?
塾長が好きな和歌は崇徳上皇の歌です。
瀬を早(はや)み
岩にせかるる
滝川(たきがは)の
われても末(すゑ)に
逢はむとぞ思ふ
川の瀬の流れが速いので
岩にせきとめられた
急流が2つに分かれる
しかしまた1つになるように
愛しいあの人と今は分かれても
いつかはきっと
また逢おうと思う
「瀬」は川の浅いところです。
「早み」は「形容詞+み」で原因・理由を表しますね。
「川の瀬の流れが速いので」という意味になります。
ロマンチックな歌ですね。
中1生のみなさんへ 数学を得意にする方法
早英ゼミナール
塾長 矢頭嘉樹
中学生活が始まりました。部活も本格的に始まってきます。
今は勉強に部活に、忙しい日々を送っていることと思います。
さて小学校の算数が中学校では「数学」と名前が変わりました。
名前が変わっただけではありません。解き方も変わってきます。問題を解くときの心構えや勉強の仕方も小学の時とは違ってきます。
中学校の最初に押さえておくべき原則を伝えておきます。
1 まず、数学用語を正確に理解しよう
小学校の算数と中学校の数学で一番違うのは、言葉の重要性です。
成績の振るわない生徒の特徴は問題が読めないことにもあります。問題が読めないとは、言葉の意味を曖昧にしたままで問題を解いているということです。
符号とは何か、自然数とは何か、絶対値とは何か、以上と以下、未満・より大きい・より小さい、の違いは何か、正確に言えるでしょうか?
こうした言葉・語句・用語の意味を最初にしっかり覚えていくことにより、数学が上達していきます。
中1の数学は「約束事」を習うことから始まります。
・ゼロより小さい数があるという約束事(負の数の約束事)
・数学は文字を使っていくという約束事(文字式の約束事)
・等式や方程式の約束事
一学期は「方程式」とは何かということをきちんと理解していきましょう。そして方程式を使うと面白く問題が解けるということに感激してほしいものです。
また数学ではできるだけ分数を使っていきます。計算もできるだけ分数で行い、答えは仮分数のままにしておくという約束があります。(約分はしないといけません)分数は割り切れないということがないですからね。一方理科では小数を使うのが原則です。
2 暗算をしない。解き方のプロセスを残しておくことが大切
小学の低学年では、暗算で答えを出すことが大事でした。九九や10の補数計算をするのにいちいち筆算をするわけにはいきません。それでは遅すぎるからです。
しかし中学以降の数学では、暗算で答えがでるような問題はほとんどありません。場合によっては5行にも及ぶような計算を暗算でするのは不可能です。
計算をするときに大切なことは、途中式を「縦に書いていく」ということです。できるだけ省略せずに、途中式を縦に書いていくことによって、計算ミスを防ぐことができます。
方程式を習った後では常識になりますが、=(イコール)を縦に同じ位置に並べていきます。
(例)文字式では
(4X -7)-(2X+5)
=4X-7-2X-5
=4X-2X-7-5
=2X -12
(例) 方程式では
X+2 =-2X-7
X+2X=-7-2
3X =-9
X =-3
人間の目は横についているので、縦に追っていく方が見やすいということです。
縦に揃っていると間違いがあったとしても、見つけやすくなります。
3 式を導きだす図を描くことが大切
文字式の文章題、方程式の文章題を解く上で、図を描いていくことが必要になってきます。それは教科書を見てもわかると思います。
どんなに問題が難しくなっても解ける生徒、数学ができる生徒とは、図を描けと言われなくても自然に図が描けて、その図を見て問題を解こうとする生徒です。
計算が速くて正確であるからといって、それだけでは数学の応用問題を解けるようにはなりません。図を描いて、図を見て解く癖がついている生徒が、数学の応用問題を解けるようになるのです。
数学検定の問題は普段から良い問題が多いと思っています。
3級は高校入試レベルなのですが、高校入試のようにやたらと難しいのではなく
中学で習う単元を理解していればできるようになっています。
逆に理解していないとできません。
こういうのを良い問題というのでしょう。
また小学生卒業レベルは数検6級なのですが、教科書より少し難しいくらいで、中学入試レベルとは程遠いです。
ニュートン算などでてきません。でもこれでいいと思います。
6級レベルができるようになれば「正負や方程式」もやって「中学レベル」に入ればいいのだと思います。
将来必要なのは「算数」ではなく「数学」ではないでしょうか?
だいたい中学入試で何故「方程式」を使ってはいけないのか分かりません。
変な文章題だって連立方程式を使えば一発ではないでしょうか?
方程式を使ってもできない問題もあるのかもしれませんが、
そんな問題に発展性があるようには思えません・・というのは言い過ぎでしょうか。
大体、中2位まで続く「文章題」ですが、本当に数学力を上げるのに役立っているのか疑問です。
文章に沿って立式するように指導はしていますが、それだけでいいのか疑問を持っています。
ただ単に文章をうのみにし、「は」があれば「=イコール」「の」があれば「×カケル」と教えることに意味があるのかとも思います。
高校数学の目的が「微分・積分」にあるとすれば、
中学数学でも「関数」に力を入れるのがいいと考えます。
小学算数は小5で習う「割合」を大切にしたいものです。
中学数学は、最後の「三平方の定理」が大事ですよ。
早英ゼミナール
塾長 矢頭嘉樹
小中高と算数・数学を教えていて楽しいのは、
学年が上がるごとに「数の概念」が広がるということが
生徒に伝わった時です。
整数→少数→分数→負の数ときて、
飛躍的に数の概念が広がるのが、中3の「平方根」です。
でも中学まではまだ「数直線」しかなくて、
高校で「複素数」を習って「複素数平面」に広がるのに、
高校時代やたらと感動した覚えがあります。
この感動を生徒に伝えるのはとても楽しいことです。
私は大学で数学を勉強したわけではないので、大学入試以上の数学は知りません。
複素数以上の数概念、「数立体」とか?「四元数」とは何か?
これらをいつか勉強したいと思っています。
中学・高校と「英語」が入試に向けての最重要科目であるのは間違いありませんが、これには疑問があります。
大学入試の長文問題とはいえ、読解とはいえないくらい設問は簡単です。
単に単語力と熟語力で解ける問題ばかりではないでしょうか。
後は時間内に終える処理能力を問われる問題ばかりで、国語の読解問題とは大違いです。
英語の入試問題が「暗記力」を問うだけなら、6年間も膨大な時間を使ってみんなにやらせる必要はありません。
英語はどちらかというと、美術や音楽といった実技科目に入ったほうが良い気がします。
入試に必要な科目ではなく「やりたい人が教養のためにやる」のが英語嫌いを増やさない方法だと思うのですがいかがでしょうか。
日本人なのだから、英語より国語をもっと大切にしたいものです。
最近大学入試でも「古文」が入試科目にない大学も増えてきましたが、とんでもないことです。
もっと古文に力を入れて、源氏物語とかみんなが普通に読めるようになればいいのです。
近隣の中学では、中1の一学期と二学期に「世界地理」、そして中1の三学期に「歴史その1・古代から中世」
中2の一学期と二学期に「日本地理」、中2の三学期と中3の一学期に「歴史その2・近代以降」
中3の二学期と三学期に「公民」をやっているようです。
時間的には、地理分野4、歴史分野3、公民分野2の比率です。
公民の経済分野にあまり時間が取れないのは商学部出身としては残念ですが、入試のことを考えればしょうがないのでしょうね。
気になるのは歴史について、暗記科目なのだから、さっさと教科書を覚えちゃえばいいのに、という意見があることです。
生徒や保護者の方と話していて、「うちの子は歴史が苦手で」という保護者ほど、社会は暗記科目だと思っているようです。
確かに歴史の人物名や事件は覚えていないと困ってしまうわけですが、さて社会が暗記科目かというと、疑問があります。
ただ教科書を読んでいってもあまり面白くありません。知らない人物名や事件の年代を覚えていくのは苦痛とも言えますね。じゃあどうすればいいのか?
社会特に歴史は教科書から得られる知識より、その他から得られる知識の方が大切だと思います。無味乾燥な教科書だけではなく、映像や物語から知識を得てほしいものです。
今の時代ユーチューブもあれば、漫画歴史本もあります。面白いもの、そうでないもの色々ですが、その中から自分が楽しいと思えるものを選んでほしいですね。
授業で人気があるのが、「日本史重要人物クイズ」です。日本史で出てくる人物24人とか50人とかに焦点をあてて、
その人物の業績を選択肢の中から選ばせるというもの。クイズ感覚でやるので面白いのでしょうね。
それで歴史が好きになって、社会は暗記科目なんかじゃなかったと思ってほしいです。
歴史を面白く学ぶといえば、例えば私のブログなんかはいかがですか?
一流大学の受験では、日本史や世界史の「実況中継」という予備校発行の参考書を使いますが、
その実況中継の中学生版を目指したつもりです。
国語について。
国語は各科目の基礎となる科目であることは、誰もが分かっているはずですが、それでは、どうやって勉強したらよいか誰もが悩む問題でもあります。
「作文教室」のところで、国語力には3つあると書きました。「知識」「表現力」「読解力」です。
「知識」をどうやって身につけるか。
例えば本を読んでいて、分からない語句は辞書で調べることもその一つです。
「表現力」をつけるには、適切な指導者が必要だと思います。
作文なり小論文なりを添削してもらえる指導者です。
では「読解力」をどうやって身につけるか?
王道はありません。文章を読むことです。
本を読む、あるいは文章を読むということについて、2種類の読み方があります。
「多読」と「精読」です。
一見両立しそうにない2つの読み方ですが、そんなことはありません。
「数多くの文章を読む」こと「じっくりと読むこと」は両立します。
多読といったって、何を読めばいいのか?
なんでもいいというと無責任でしょうか?
でも実際そうです。興味が湧くかどうかは読んでみないとわかりません。
とにかく面白そうな本を読んでいく。そのうち好みのジャンルが見つかりますよ。
国語の読解問題が苦手な生徒は、今日からでも「精読」して見て下さい。
テキストをやっていて、分からなかった文章、北辰テストの評論文、センター試験の過去問、学年により内容は違いますが、やり方は同じです。
設問をやるのではなく、何回も課題文を読んで下さい。繰り返し読むことが大切です。
3回までは辞書も何も使わず、ひたすら黙読あるいは音読する。
そのうち、この語句の意味が分かれば、全体の意味が取れるのになあ、という状態になれば辞書を引きましょう。
そうして、更に読み込んでいきます。
入試に出る文章、模擬試験に出る文章は、長さもちょうど良く、よく考えられていますので、じっくりと読んでいきましょう。
1つの文章を精読し、繰り返し読むことは時間が掛かりますが、読解力を上げる最良の方法です。
朝日新聞が「掛け算の式の順序」問題を取り上げていました。
「8人に鉛筆をあげます。1人に6本ずつあげるには全部で何本いるでしょう?」
8×6=48では小学ではバツかもしれないというものです。式も答えもです。
多分8人×6では48人になるというのが、その理由らしいです。
以前もこの問題を取り上げたことがあります。
次の内容でした。
朝日新聞の書評で「かけ算には順序があるのか」という本が取り上げられていました。
小学2年生で習うかけ算で、「6人に4個ずつミカンを配ると何個のミカンが必要?」という問題で、
「6×4=24」というのは、答えは合っているが、式が間違っていると学校で教えているということです。
どう思います?
「4×6=24」が正解です。4個×6人=24個となって、6人×4個では24人になってしまうというのがその根拠です。
個×○=個、人×○=人というように、サンドイッチになるのが正しい式というのが教科書の説明です。
なぜサンドイッチなのか、分からないですよね。○×個=個ではなぜいけないのでしょうか。
当塾のテキストには、東京書籍の教科書に対応した問題集もあります。それによると、やはり4個×6人=24個といった教え方をしています。
しかしそれだけが正解ではなく、6人×4個=24個でも×を付けたりはしません。
乗法には交換法則がありますからね。乗法の交換法則とは、4×6=6×4のことです。(九九を覚えたらすぐ分かることです)
私は6×4だろうが4×6だろうが、どちらでもよいと思います。
色々調べましたが、やはり数学者の間でも「かけ算には計算の順序はない」ので、どちらでもよいという専門家の方が多いですね。
それに指導要領で4×6しかだめと言っているのではなく、教科書会社の「教師用指導書」でこういう教え方をしなさいと言っているだけのようです。
また古くから論争が続いている問題なのですね。 この問題は調べれば調べるほど奥が深いことが分かりました。
上記に関して、面白いページがあったのでリンクしておきます。
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10742669809.html
この問題では新聞にもお名前のでている「黒木玄先生」のツイッター・アカウントが面白いので紹介しておきます。
ツイッター・アカウントをお持ちの方は下記をコピーして、貼り付けてください。
@genkuroki
ついでに私の個人アカウント
@yosiyosiyosi123
「大人のための数学勉強法」という本があります。
この本高校生が読んでもとてもためになると思うので紹介します。
ノートの取り方は中学生でも参考になりますよ。
(以下 引用)
ノートを取るのは何のためでしょうか?もちろんそれは、「私は話を聞いてますよ」というポーズのためではありません。人間の記憶というのはかなり曖昧なものですから、今、わかっていること、頭に入っていることでも、しばらくすれば忘れてしまうのが常です。だからこそノートを取ってしっかりと残しておく必要があります。
しかし、特に学生の場合ですが、ノートは一応取るものの、後でそれを見返すということを念頭に置いていないような書き方をする生徒さんが少なくありません。実際そういう生徒さんは後でノートを見返すということをしません。つまり、授業内容のほとんどは記憶の海の藻屑となって消えてしまいます。そうなると、試験前になって慌てて教科書と問題集を開いてみても、ほとんど独学で勉強するようなものですから、成果が上がりづらいのは当たり前のことです。
こういう生徒さんの場合にはまず、ノートは先生の満足のためではなく、未来の自分のために書くものだ、ということを教えます。未来の自分のためと思えば、それまで走り書きのように乱雑に書いていたノートも、わかりやすく、丁寧に書こうという気持ちになるものです。
続きは下記へ
「英語は動詞を覚えないと、どうしようもないよ。」なんて突然親父ギャグを言って生徒の失笑を買う塾長ですが・・・
実は親父ギャグは日本の伝統なのです。
百人一首にこんな歌があります。
「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも あふ坂の関」(蝉丸)
「あふ」が、人に「逢う」という動詞と、「逢坂」という地名を掛けているのです。
これを「掛言葉」といいます。掛言葉とは、「日本語の同音異義語を利用して、一つの言葉に二つの意味を持たせる」という和歌の修辞法の一つです。
上の和歌は「これがまあ、あの世間で評判が高い、東国へ下る人も都へ帰る人も、知っている人も知らない人も、ここで別れたり出逢ったりしている、逢坂の関なのか」という意味です。
とてもきれいですが、ダジャレといえばダジャレですよね。これが日本の伝統です。
(掛言葉とダジャレを一緒にするなと日本語学者に怒られるかな?)
他にこんなのもあります。
「来ぬ人を まつ帆の浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」(権中納言定家)
お分かりでしょうか?
「来ない人を待ち続ける私は、夕なぎの松帆の海岸で藻塩草(もしおぐさ)を燃やすように、身も心も焼き焦がされてしまいます。」
人を待つの「待つ」と松帆の「松」を掛けているわけです。
他に、「ふる」のように「降る」「振る」「古る」「経る」などいくつもの意味を表す言葉もあります。
ですから、親父ギャグを馬鹿にしないようにしましょう。
和歌にはどんな掛言葉があるか、探してみるのも面白いと思いますよ。
「日本人の知らない日本語」より漢字クイズです。
「ハト」と「カ」と「カラス」と「ネコ」の共通点は何でしょう?
考えて下さい・・・
考えて下さい・・・
ヒントです。漢字で書いてみましょう。
鳩
蚊
鴉
猫
分かりましたか?
考えて下さいね
考えて下さいね
第2ヒントです。一部分に音が入っています。
分かりましたね。
鳴き声が入っています。
鳩→九→クー
蚊→文→ブンブン
鴉→牙→ガー
猫→苗→ミョウ(中国語)
漢字って面白いですね。
海野凪子という日本語教師の書いた「日本人の知らない日本語」1・2の2冊をとっても楽しく読みました。去年だかTVでもやっていましたね。
この本の中で、敬語についての部分がとてもよかったので、ご紹介します。
「凪子先生おられますか?」は文法的には間違い。「おる」は居るの謙譲語なので、「られる」をつけても尊敬の形にならない。
「おっしゃられた」は「おっしゃる(尊敬語)」+「られる(尊敬形)」で二重敬語になってしまう。「おっしゃった」でいい。
「ご苦労さま」は目上の人には使わない。目上の人には「お疲れさま」がよい。
「頑張って下さい」も目上の人には使わない。「お疲れのでませんように」がいい。
「お疲れの出ませんように」はとても美しい日本語ですね。
「内閣」とは何か確認しましょう。
中学生は公民で国会・内閣・裁判所について習います。
@日本では権力が一つに集中しないように、三権分立の制度をとっています。
立法権(法律をつくること)は国会に
行政権(政治をおこなうこと)は内閣にあります。
そして司法権(法を司ること)は裁判所が持っています。
国権の最高機関は「国会」であり、国会が作った法律を執行するのが「内閣」です。
A内閣は「内閣総理大臣」と「国務大臣」で構成されています。
内閣総理大臣は国会議員の中から国会によって指名され、天皇が任命します。
国務大臣は内閣総理大臣が任命、過半数は国会議員でなければなりません。
内閣総理大臣と国務大臣は「閣議」を開き、内閣の方針を決めます。
A内閣は国会に対して連帯責任を持ちます。
内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、
十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならないと憲法で規定されています。
B内閣は「行政権(政治を行なうこと)」を持ちます。
内閣の仕事は以下の様なものです。
この他、議院内閣制、内閣不信任決議について等を確認しておきましょう。
2010年10月20日の朝日新聞に鳥飼玖美子さんのインタビューが載りました。鳥飼さんはアポロ11号月面着陸時の同時通訳として有名ですが、現在は立教大学の教授をされています。
「これからの英語」と題されたインタビューは、私も感じていたことを代弁してくれたように思いますので、ご紹介します。全文がネットにありましたので、後にリンクしておきます。
先ず、鳥飼氏は現状の英語教育が「コミュニケーション重視」になりすぎていると指摘します。読み書きの基礎ができていないため、英語の基礎学力が低下している、「コミュニケーション重視」「読み書き重視」の両方が必要なのに、今の子供たちは両方できなくなっていると英語教育に警鐘を鳴らします。
ではどうすればよいか。
ある程度の基礎力をつけることで学校教育は使命を果たしたと考えるのが良いとのことです。後は本人の努力次第。確かに必要性を感じない人にいくら英語を教えても無駄ですね。基礎力さえあれば、必要な時に必要な人が学ぶことができると私も思います。基礎力とはこの場合「学びの姿勢を身につけること」でしょうか。
更に「英語に関してパラダイム・シフト」が必要だと指摘されています。
「グローバル化時代において英語が国際語であるということの意味」とは何か、ということです。
それは、「英語はネイティヴだけのものではない」ということです。
米英人などネイティヴは4億人、それに比べて英語を外国語として使う人々、ノンネイティヴは10数億人います。我々が英語を使う相手はノンネイティヴである確率の方がはるかに高い。これはつまり英語は米英人の基準に合わせる必要がないということです。
「意味が通じるなら、それでいい」のが国際共通語としての英語であると考えるのです。そうであるならば発音もスペルも細かいところまで気にする必要がないということです。RとLの発音や三単現のSだってそんなに気にすることはなくなる、というのが鳥飼玖美子氏の主張です。
日本人は日本人らしい英語を話し、中国人は中国人らしい英語を話す。でも英語としての基本を守っているので、英語として通じる、コミュニケーションができる。これがあるべき国際共通語としての英語である。
そのコアとしての英語とは何か、ヨーロッパ中心に研究がすすんでいるということです。
次の鳥飼氏の言葉は特に印象的でした。皆さんはどうお考えですか。
「国際共通語としての英語にはもう一つ重要な要素があります。それは自分らしさを出したり、自分の文化を引きずったりしてもいい、ということです。『アメリカ人はそうは言わない』と言われたら『アメリカでは言わないでしょうが、日本では言うんですよ』。それでいいんです」
最後にちょっと私の意見も加えておきます。
様々な分野での「研究論文」は殆どが英語を使って書かれています。その研究論文 は「引用回数」でも評価されるはずです。
ということは、多くの研究者に引用されるような研究論文は英語の方が有利であると思われます。
であるならば、英語教育は「文法・訳読」もさることながら「英作文」を重視する必要があると思うのですが、いかがでしょうか。
衆議院で「内閣不信任案」が否決されたとします。これはどういうことでしょうか?
国会と内閣について勉強しましょう。中学生は中3の公民で習います。
まず日本国憲法では、議院内閣制を採用しています。内閣は国会の信任にもとづいて成立し、国会に対して連帯責任を負うというものです。内閣の行なう「行政」が信頼できなければ、衆議院は「内閣不信任決議」を行なう事ができます。
不信任決議が否決されたとすると、とりあえずは現状の内閣が続きます。
では「不信任が決議されたら」どうなるでしょうか。憲法では、内閣は次のどちらかを選びます。
10日以内に衆議院を解散するか、内閣が総辞職するかです。
衆議院が解散されると40日以内に総選挙を行ない、その選挙の日から30日以内に国会(特別会)が開かれます。
つまり不信任決議が可決され、首相が衆議院解散を選んだら、最長70日も政治空白が続くわけです。
内閣が総辞職すると、再度総理大臣を選ぶことになりますが、その場合「衆議院の優越」があるので、衆議院の多数派から総理大臣が選ばれることになります。
さあ、大事な語句が多く出てきました。赤字は特にチェックしておいて下さい。
塾長ブログ「未来草子」で一番人気が高いのは実は去年書いた「英語検定と三舟の才」です。多分今の時期、古典の授業で「三舟の才」が取り上げられるので、その口語訳を求めて高校生がネットで検索し、この記事が引っ掛るのでしょう。
何でもネット検索ですましてしまうのは、高校生だけでなく大学生もそして大人も同じです。仕方がないのでしょうね。私も図書館で調べることが少なくなり、結構インターネットに頼っています。まあ、その情報が正しいかそうではないかを判断できる能力があればいいと思います。
「大鏡」にある「三舟の才」自体はあまり長くもなく分かり易い内容ですので、大サービスでここに全文訳を載せようと思います。現代語訳だけですよ。
ある年、入道殿(道長)が大井川で舟遊びをなさった時、
作文(漢詩)の舟、 音楽の舟、和歌の舟とお分けになって、それぞれの道に優れた人々を お乗せになられましたが、
この大納言殿(公任)が参上なさっていたのを(ご覧になって)
道長は「あの大納言はどの舟に乗られるのだろう。」とおっしゃったところ
(公任は)「和歌の舟に乗りましょう。」とおっしゃって(和歌を)お詠みになったことです。
小倉山や嵐山からの風が寒いので、紅葉の落ち葉で人が皆錦の衣を着ているように見えることだなあ
願い出て(和歌の舟に乗られた)かいがあって、見事にお詠み遊ばしたことですね。
ご自分からも、おっしゃたことには、
「漢詩の舟に乗れば良かったなあ、そして これくらいの漢詩を作ったならば、名声もいっそう上がっただろうに。残念なことだよ。
それにしても、道長殿が(どの舟の乗ろうとお思いですか)とおっしゃたのには、我ながら 得意にならずにはいられなかったよ。」
とおっしゃられたということです。
一事に優れていることさえ、まれであるのに、このようにどの道にも抜きん出ていらっしゃった ということは、昔にもなかったことです。
和歌の鑑賞はどうでしょうか?
「嵐」は嵐山と強い風の嵐の掛詞。
「紅葉の錦」は紅葉を錦の織物に見立てる表現です。
後、道長には「させ給ひ」、「せ給ひ」等の最高敬語が使われ、公任には「給ふ」等の普通の敬語しか使われていないのにも注目しましょう。
緑で太字が藤原公任の言ったことです。
和歌と漢文、国語と英語に関して、前回の記事を再掲載します。どうお考えでしょうか?
英語に関して、思い出すのは高校の古文で習う「三船の才」のことです。
「大鏡」にある話で、藤原道長が、「漢文の舟」「和歌の舟」「音楽の舟」の三舟で舟遊びをした時のことです。
藤原公任が「和歌の舟」で皆の称賛を浴びたのですが、この人は「漢文の舟」に乗っていたら、更に名声は 高まって いただろうと言ったのです。
この様に日本では昔から「外国語(この場合は漢文)」を重要視していた のですね。
今の日本でも、国語より英語の方が重要視されているように思えます。
これが良いとか悪いとかいう話ではなく、平安時代には「漢文の勉強」から「国風文化」が華開いたように、現代の日本でも「英語の勉強」 から、新しい文化が華開くかも知れません。
大手塾から転塾してきた生徒の中で、数学の成績が振るわない生徒 には共通点があります。それは「途中式を書かない」ということです。
ちょと複雑な計算になると必ず間違う・・・ほとんどの理由が「暗算」なのです。 勿論暗算は必要なものです。でもそれは小学低学年までの話です。
高校生であれば、途中式を書かないことは不可能なので、そんな人は いないでしょうが、小学高学年、中学生になっても式を書かない生徒がいます。 まるで「式なんて書くと恥ずかしい」と思っているようです。そんな生徒には、 「式を書かないからという理由で、ほめてくれる先生なんてこの先いないよ。」 というのですが、頑として書きません。
更にこういう話をします。「博士の愛した数式」に出ていた話です。
「どんな式にも意味がある。だから大事に扱ってやらないと可哀そうだ。」
数学には「消しゴム」を使わないように私は指導します。間違った式をそのままに しておくのは嫌だから、過去を消してしまいたいという気持ちは分かるのですが、
間違った式にも意味があります。 どこを間違ったのか、消してしまえば意識ができません。 0.1秒を惜しんで間違うより、きちんと式を書いて正解にたどりつきましょうね。 式だけでなく、図や表を書くことにだけでも随分違ってきます。
毎回英検は受検者がとても多いですね。
埼玉県の公立で英検・数検・漢検の取得が点数化されるようになったのが、 かなり影響しているようです。
高校受験の為に英検を頑張るというのは、とても良いことですが、英検の本当の良さは、勉強していき、合格していく過程で英語が好きになっていくということではないでしょうか。
英検の指導をしていて、生徒たちがいつの間にか 「英語が好きになった」と言ってくれるのが嬉しいです。
英語に関して、思い出すのは高校の古文で習う「三船の才」のことです。
「大鏡」にある話で、藤原道長が、「漢文の舟」「和歌の舟」「音楽の舟」の三舟で舟遊びをした時のことです。藤原公任が「和歌の舟」で皆の称賛を
浴びたのですが、この人は「漢文の舟」に乗っていたら、更に名声は 高まって いただろうと言ったのです。 この様に日本では昔から「外国語(この場合は漢文)」を重要視していた のですね。
今の日本でも、国語より英語の方が重要視されているように思えます。
これが良いとか悪いとかいう話ではなく、平安時代には「漢文の勉強」から「国風文化」が華開いたように、現代の日本でも「英語の勉強」 から、新しい文化が華開くかも知れません。
村上春樹の小説は、英語の影響が多いように思われますが、 このような「英語学習」から生まれたとしたら、英語を教えている 一人として、励みになります。
早英ゼミナール
上尾市浅間台3−4−25
TEL 048-773-1023