「英語は動詞を覚えないと、どうしようもないよ。」なんて突然親父ギャグを言って生徒の失笑を買う塾長ですが・・・
実は親父ギャグは日本の伝統なのです。
百人一首にこんな歌があります。
「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも あふ坂の関」(蝉丸)
「あふ」が、人に「逢う」という動詞と、「逢坂」という地名を掛けているのです。
これを「掛言葉」といいます。掛言葉とは、「日本語の同音異義語を利用して、一つの言葉に二つの意味を持たせる」という和歌の修辞法の一つです。
上の和歌は「これがまあ、あの世間で評判が高い、東国へ下る人も都へ帰る人も、知っている人も知らない人も、ここで別れたり出逢ったりしている、逢坂の関なのか」という意味です。
とてもきれいですが、ダジャレといえばダジャレですよね。これが日本の伝統です。
(掛言葉とダジャレを一緒にするなと日本語学者に怒られるかな?)
他にこんなのもあります。
「来ぬ人を まつ帆の浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」(権中納言定家)
お分かりでしょうか?
「来ない人を待ち続ける私は、夕なぎの松帆の海岸で藻塩草(もしおぐさ)を燃やすように、身も心も焼き焦がされてしまいます。」
人を待つの「待つ」と松帆の「松」を掛けているわけです。
他に、「ふる」のように「降る」「振る」「古る」「経る」などいくつもの意味を表す言葉もあります。
ですから、親父ギャグを馬鹿にしないようにしましょう。
和歌にはどんな掛言葉があるか、探してみるのも面白いと思いますよ。