入塾した時、これから絶対成績が上がるだろうな、という生徒はある程度分かります。

真面目な生徒? 

確かに上がりますね。

 

これまで勉強してこなかった生徒? 

ちょっとやれば上がります。

 

目標がはっきりしている生徒?

いいですね!

 

当塾しかない! と悲壮感漂う生徒? 

その覚悟は買いです。

 

そして一番成績が上がる生徒は、

 

楽しそうに勉強をする生徒です。

勉強が好きだ、とはやっぱり言えないかもしれない。

辛く感じる時もあるかもしれない。

しかし、どうせやらないといけないからというのでもなく、

「やっていたら楽しくなってきた」

そういう生徒が一番伸びます。

ですから、最初からやらないのではなく、

とりあえず「楽しそうにやってみる」のが大事かもしれません。

そのうち、本当に楽しく感じてきたらもう絶対伸びます。

本当ですよ。

あの孔子が論語の中でおっしゃっています。

何のために勉強するか。納得できる答えがここにあります。

 

以下「作文の森」というホーム・ページからの引用です。

 

「勉強は、何かに役立たせるためにするのではない

 

 今の勉強は、受験の競争に勝つことを主な目的にして行われています。そのため、差のつきやすい、うっかり間違えやすい、わかりにくい問題を解くことが、勉強の目標のようになっています。

 しかし、これに対して、勉強は何かの役に立たせるために行うのだと考えると、これは受験勉強とは逆の低レベルの勉強に安住することになります。例えば、社会に出てから必要になるのは四則計算ぐらいだと考えると、数学の勉強はほとんど必要のないことになってしまいます。

 

 数学の勉強、例えば因数分解を解くような勉強には、パズルを解くような面白さがあります。だから、受験勉強とも相性がいいのです。

 しかし、実際に二次関数の解を求めるためには、根の公式さえ知っていれば間に合います。特に、現代のようなコンピュータの計算能力を前提にできる時代であれば、人間が因数分解をスマートに解く工夫をする必要はありません。

 

 

 ところが、だから、そんな勉強をする必要はないのだとは言えないのです。

 それは、勉強の中で真に求められているものは、試験に合格することでも、答えを得ることでもなく、その人の知的能力を高めることだからです。

 

 多くの人が、この点を誤解しているようです。勉強は、成績のためにするものでも、実用のためにするものでもありません。成績と実用は、結果としての副産物であって、真の目標は人間の向上です。

 小中学生のころに勉強が好きな子はあまりいませんが、高校生になると勉強を好きになる子が出てきます。それは、勉強というものが向上の喜びと結びついているからです。

 小中学生のころは、解けた喜び、褒められた喜び、成績が上がった喜びでいいのですが、その喜びを自己の向上の喜びと結びつけていくところに教育の大きな目的があります。

 

 昔、プログラミングの勉強を自己流でしているときに、ファンクション・オリエンテッドとオブジェクト・オリエンテッドの二つの方向があるということをある本から学びました。

 その本の著者は、オブジェクトという一つのユニット化されたものを操作する方がわかりやすく能率もよいが、しかし、ファンクションという関数を自分なりに組み合わせて考える方が面白いし自分は好きだというようなことを述べていました。

 そのときは、その理由がよくわかりませんでしたが、今になると、だんだん著者の言いたかったことが理解できるような気がしてきました。

 

 数学の勉強でも、解き方のコツのようなことを知ると、確かに問題がすぐに解けて能率がよくなったように見えます。

 しかし、わかりやすいということは、わかりにくい部分をブラックボックス化して、入力と出力の関係だけを操作的に理解させていることも多いのです。

 すると、その操作に関しては能率がよいとしても、それを他の勉強に生かすことはできません。まして、そこから新しい考えを創造することなど更にできなくなるのです。

 

 未来の社会で最も大事になる人間の能力は創造性です。

 能率よく答えに到達する能力は、過去の工業時代に必要な能力でした。

 そう考えると、これからの勉強は、答えを出すことでも、それを何かに役立たせることでもなく、問題を考えること自体の楽しさを味わうような方向で進んでいく必要があるように思うのです。」

早英ゼミナールではツイッターを使っています。みなさん是非フォローして下さいね。

 

そのツイッターで、素晴らしい呟きがありますので紹介したいと思います。

 

ご存知のようにツイッターではリツイートが多いので、

 

もともとは誰の言葉なのか分からない場合も多いです。

 

今回のも誰がオリジナル・ツイッターなのか分かりません。

 

ご存知の方は教えて頂ければ有り難いです。

 

「わからない理由」

 

①調べない

 

②読まない 

 

③試さない 

 

④考えない 

 

⑤メモをしない 

 

⑥話を聞かない 

 

⑦覚えようとしない 

 

⑧感謝の気持ちがない 

 

⑨自分でやるつもりがない 

 

⑩分かっていないことに気づかない

 

覚えがある人はいませんか?

 

こういうのもありました。

 

「学んでない人は、学ぶ姿勢がない。学んだ人は我慢がきく。

 

これは、本当に本当。

 

答えが出ない時間を受け入れられる。

 

学んでいない人は、答えがすぐに出ないといらつく。」

 

何故学ぶのか分からないよ、という人に、こんなのもあります。

 

「知識を得ることにどんなメリットがあるかといえば,僕は「自由になれる」ことだと思います。

 

知識とは理であり,その中には我々が生きるこの世界についてのルールが含まれます。

 

あるいは構造が書かれていますね。

 

それを知ることは,自由につながります。

 

このことは,ルールを知らずにスポーツをする不自由さを想像していただければ分かるかと思います。」

 

ツイッターの利用で大切なことは、いいなと思ったツイートはすぐリツイートするか、お気に入りにいれておくことです。

 

でないとタイムラインを遡るのは大変だからです。

 

今回は名言集でした。

村上春樹のこの言葉、たまに振り返って噛みしめます。4)が難しいですね。

@harukimurakami_僕は個人的には、
1)愚痴をできるだけ言わない。
2)好きなことをただ一生懸命やる。
3)お腹の肉をなるべくつけない。
4)新しい音楽を積極的に聴く。
というようなことを心がけております。

早英ゼミナール塾長 矢頭嘉樹

聖徳太子の十七条憲法については、一条から三条までが有名ですが、その名の通り十七条まであります。

では聖徳太子はこの憲法で何を言っていたのか、中学生にもわかるように注釈をつけてみました。

今の「日本国憲法」もそうですが、憲法は一般国民に対してというよりは、政治家・官僚・役人に対しての「心構え」であるのが第一義ですね。

第一条 和を大切にし、いさかいをおこさないことを根本としなさい。

 協調の気持ちをもって論議するならば、おのずから道理にかない、どんなことも成就するものだ。

(注) 「和」が「平和の和」だとするならば、日本国憲法九条にも通じるものがありますね。

「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。陸海空軍その他の戦力は保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

第二条 あつく三宝を敬いなさい。三宝とは「仏・法・僧」のことである。

      仏の教えに従えばまがった心を正くすることができる。

(注) お経を見ていて気付いたこと。聖徳太子は日本の仏教の第一人者でありました。

第三条 天皇の命令には必ず従いなさい。詔に従わなければ敗れていくだろう。

(注) 武士の世でも朝廷は健在でしたね。

第四条 役人は「礼」の精神を根本に持ちなさい。

(注) 公務員・官僚に道徳心がなければ国が乱れるということ。

第五条 官吏は饗応や財物への欲望を捨て、訴訟を厳正に審査しなさい。

(注) 賄賂などとんでもない。三権分立を守り、裁判所は行政の言うことを聞くのではなく、法と良心に従うこと。

第六条 勧善懲悪は古来よりの良い典である。

(注) 悪は見逃してはいけない。良い行ないは認めないといけない。見て見ぬ振りをしてはいけない。上に媚びへつらってはいけない。

第七条 人にはそれぞれ任務がある。職務を忠実に履行し権限を乱用してはならない。

      事柄の大小に関わらず、適任の人を得られれば必ずうまくいく。

      古の聖王は職に適した人を求めたが、人のために官職を設けたりはしなかった。

(注) よこしまな人間がトップにつけば、災いや戦乱が充満する。

第八条 官僚は朝早く出仕し、遅くまで仕事をしなさい。

(注) 今の公務員はどうなのでしょうか。

第九条 「信」は「義」であり「人の道」の根本である。

      官吏に真心があるならば何事も成功するだろう。

      公務員に真心がなければ、どんなこともうまくいかないものだ。

(注) 「信」とは嘘を言わず、言行が一致すること、欺かないことであり、それが「義」つまり「人間としての正しい道」につながります。

第十条 心の中の憤りをなくし、憤りを表情に出さぬようにせよ。

     人が自分と違うことをしても怒ってはならない。

     自分だけが正しく、人が必ず間違っているとはいえない。だれもが賢く又愚かでもある。

(注) 官僚や政治家だって間違いを認めないといけないですよね。国のやることは絶対正しいなんてことはありません。

第十一条 官僚たちの功績・過失をよく見て、それに見合う賞罰を必ず行ないなさい。

(注) 役人の失敗はお役所ぐるみで隠そうとしてはいないでしょうか。罪を負うべき企業が罰を逃れてはいないでしょうか。

第十二条 役人(政治家)は勝手に人民から税を取ってはならない。天皇だけが主である。

       役人(政治家)は任命されて政務にあたっているのである。

(注) これは本当にそう思います。法律を作る立場であるからといって、勝手に増税がらみの法律ばかり作ってはいけない。

第十三条 いろいろな官職に任じられた者たちは、前任者と同じように職務を熟知するようにしなさい。

       前のことなど自分は知らないといって公務を停滞させてはいけない。

(注) 勉強していい大学に入って、国家公務員になったからもう勉強はしなくていいなどと思ってはいないでしょうね。国のため国民のために勉強しましょう。

第十四条 官僚は嫉妬の気持ちを持ってはいけない。

       自分より才能があるからといって押さえつけてはいけない。

       聖人・賢者といわれる人がいなくては国を治めることはできない。

(注) 今の日本に「聖人や賢者」はいるのでしょうか? 「地上の星」はどこにあるのでしょうか。(中島みゆき)

第十五条 私心を捨てて公務に向かうのは、官僚の道である。

       私心があるとき恨みの心がおきる。恨みがあると不和が生じる。

       不和が生じると公務の妨げとなる。

       第一条で「上の者も下の者も、協調・親睦の気持ちを持って論議しなさい」というのはこういう心情からである。

(注) 「私心を捨てる」ということは難しいですね。でもその気持ちが大切なのだと思います。

第十六条 人民を使役するにはその時期を良く考えてする、とは昔の人の良い教えである。

       春から秋までは農耕に力を尽くし、人民を使役してはいけない。

(注) 徴兵制なんて、とんでもない。一年の内の時期だけでなく、一生の内の大切な時期も考えて貰いたい。子育て時期にはお父さんもお母さんもある程度仕事から解放してあげたいものです。

第十七条 ものごとは一人で判断してはいけない。必ず皆で論議し判断しなさい。

       重大な事柄を論議する時は、判断を誤ることがあるかもしれない。

       その時皆で検討すれば道理にかなう結論が得られよう。

(注)) これは民主政治のことをいっているようにとれます。第一条と同じく「和をもって貴しとなす」は日本の根本原理なのですね。

(参考)金冶勇「聖徳太子のこころ」

ここまで読んできて本当に感動しました。

1400年前の聖徳太子の言葉は、そのまま現代日本にあてはまります。

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小学でも日本史を習っているはずなのに、中学生に日本史を教えるのに苦労しています。

基礎となる「日本史の流れ」と「人物名」を全く知らないので、すべてが一からの授業になってしまいます。それでも、歴史が好きになるようにあれこれ苦心していますが。

人気なのは、人物画と人名と業績を線で結ばせるものですね。ゲーム感覚でやれるのが楽しいのでしょう。

私が何で日本史が好きだったかということを考えると、「手塚治虫」の「火の鳥」のおかげだったかもしれません。 小中高大学大人とすべての時代を通じて手塚治虫を読んできました。

一番の傑作は「火の鳥 鳳凰編」だと思いますが、歴史の勉強(?)には「乱世編」がいいかもしれません。 火の鳥には平清盛がでてきますし、他に卑弥呼の時代や聖武天皇の時代もでてくるので歴史に親しめます。


手塚的歴史観の影響を受けるでしょうけど、歴史なんて誰かの視点で見るものではないでしょうか。

司馬歴史観は有名ですね。

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最近「正しい姿勢で勉強する」大切さを感じています。

勉強だけではありません。

野球も水泳も、殆どのスポーツは「正しい姿勢」「正しいフォーム」をうるさく言います。

それだけ大切なことだからです。

勉強していて、眠くなる生徒がたまにいますが、

それはやはり「姿勢」の問題かもしれません。

人間の脳は直立することによって発達してきました

3歳から10歳の間にきちんとした姿勢を取らないのは脳にとって致命的かもしれません。

たしかに正しい姿勢のヤンキーはいないような気がします。

塾でこれまで姿勢についてあまりうるさく言わなかったのは、やっぱり間違っていました。

これからは「姿勢について」うるさく言うつもりです。

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予習中心なのか復習中心なのか,早英ゼミナールはどうなのですかと質問を受けることがあります。

どちらが中心かは、生徒次第というのが答えですが、それでは愛想がないので、もう少し詳しく予習がいいか、復習がいいか、私の考えを書きます。

中学生の学習という前提です。小学生・高校生はまた別の機会にします。

先ず予習が望ましい科目として「英語」が挙げられます。

といっても、教科書を予習するだけでなく、「英検」の学習をしていくと必然的に予習になるということです。

小学生には5級、中1生に4級、中2生に3級、中3生に準2級の学習をしようとすると、予習以外にはありません。

英検は3級くらいまでは、単語の暗記だけで合格することは可能ですが、それだけでは何にもなりません。

他の塾から転塾してきた生徒で、ひたすら英単語を暗記させられてすっかり英語嫌いになった生徒がいます。

そういう生徒は検定は持っているのですが、文法力とか作文力(英作文)が全くできないので、基本をしっかり復習していく必要があります。でないと公立高校の問題には太刀打ちできません。

英語の予習は「文法」「語法(熟語)」「長文読解」そして「リスニングとスピーキング」をバランスよく習得していくように指導します。

一方数学は、特別な事例を除いて、「復習中心」がいいですね。

計算だけでなく、文章題、関数、図形などこれもバランス良く復習していきます。

さて数学を予習したほうが良い特別な事例とは、主に3つあります。

春期・夏期・冬期などの講習会で「数検」の予習をやっていくことがその一つです。

数検の問題は入試と違い、素直でストレートな問題が好感を持てるところです。

そのストレートな問題を楽しみながら予習できるのが良いですね。

2つめの事例は、とてもやる気があって復習も積極的にできる生徒です。

新しい知識を得るのがとても楽しいと思える生徒には、どんどん新しいことを教えていきます。

もう一つの特別な事例とは、数学に特別な才能を持っている生徒の話です。

そんなに出会うわけではありませんが、「グッド・ウイル・ハンティング」の「ウイル」みたいな生徒はたまにいます。

リンクはそのグッド・ウイル・ハンティングについての以前の記事です。

もちろんそんな生徒は、言わないでも自分でどんどん勉強していきますので、こちらは見守るだけで、邪魔しないようにしたほうがいいですね。

実際には生徒によって、また時期によって、予習・復習を使い分けているのが正直なところです。

ひたすら予習ばかりだと、模擬試験や入試に対応できません。入試は習ったところからでますから。

逆に復習ばかりだと、学習していく面白さに欠けるのではないでしょうか。

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公民の授業をしていて、国民の義務と権利という話になりました。

それでは質問です。

日本国民の3大義務は何だと思いますか。

答えは「子供に教育を受けさせる義務」「勤労の義務」そして「納税の義務」です。

3つしかないと考えるか、3つもあると考えるかは、生き方に関係してくるかもしれませんね。

生徒にいつも言っているのは、「教育は義務だけど、それは親の義務であって、生徒にとっては義務というより、権利と考えよう。」ということです。

勉強する義務があると考えるより、勉強する権利があると考えるほうが、勉強は楽しいのではないでしょうか。

大切な権利を行使しているということですからね。

生徒はいつも「苦笑い」します。人生最初の苦笑いかもしれませんね。

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ある大学の推薦入試小論文で、北海道旭山動物園獣医の「坂東元」さんの文章を読んで、

「いただきます」という課題で小論文を書けというのがありました。

とても感動しましたので、その一部を紹介します。

「動物園裏側探検の一こま〜いただきます」

【僕がこのガイドを担当する時は、たいてい動物たちのエサをつくっている場所へ子供たちを案内する。

肉食動物は何を食べているのだろう? これは、キツネとかフクロウのエサです。

(そう言って冷凍したヒヨコを水で解凍したものを丸ごと見せる)。

「うわっー、気持ち悪い」 「かわいそう・・・」

みんなはそういうけれど、野生の肉食動物は生きた動物をつかまえて食べないと、いきていけないんだから、

あたりまえだよね。

牛だって、豚だって、誰かが殺してきれいな肉の形にして、僕たちが食べる。

ヤキトリだって、もともとは、こういう鶏の形をしている。

みんなは、ご飯を食べる前に「いただきます」っていうよね。

それって、どういう意味だと思う?

僕はね、こう思っているんだ。

「いただきます」というのは、−−−いのちをいただきます。

そういうことなんじゃないのかな。

僕たちは毎日、いのちをいただいて生きている。生かされている。

だから一番悪いのは、いのちを粗末にすることなんじゃないかな。

レストランでたくさん注文しすぎて残してしまったり、

「まずい」といっていのちを捨ててしまったりすることなんじゃないかな。

だからご飯の前には、ちゃんと手をあわせ、こう言ってから食べようね。

「いただきます」】

この話に関してこれ以上どんなことを書けばいいのでしょうか。

私には見つかりませんでした。

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