塾長ブログ「未来草子」で一番人気が高いのは実は去年書いた「英語検定と三舟の才」です。多分今の時期、古典の授業で「三舟の才」が取り上げられるので、その口語訳を求めて高校生がネットで検索し、この記事が引っ掛るのでしょう。
何でもネット検索ですましてしまうのは、高校生だけでなく大学生もそして大人も同じです。仕方がないのでしょうね。私も図書館で調べることが少なくなり、結構インターネットに頼っています。まあ、その情報が正しいかそうではないかを判断できる能力があればいいと思います。
「大鏡」にある「三舟の才」自体はあまり長くもなく分かり易い内容ですので、大サービスでここに全文訳を載せようと思います。現代語訳だけですよ。
ある年、入道殿(道長)が大井川で舟遊びをなさった時、
作文(漢詩)の舟、 音楽の舟、和歌の舟とお分けになって、それぞれの道に優れた人々を お乗せになられましたが、
この大納言殿(公任)が参上なさっていたのを(ご覧になって)
道長は「あの大納言はどの舟に乗られるのだろう。」とおっしゃったところ
(公任は)「和歌の舟に乗りましょう。」とおっしゃって(和歌を)お詠みになったことです。
小倉山や嵐山からの風が寒いので、紅葉の落ち葉で人が皆錦の衣を着ているように見えることだなあ
願い出て(和歌の舟に乗られた)かいがあって、見事にお詠み遊ばしたことですね。
ご自分からも、おっしゃたことには、
「漢詩の舟に乗れば良かったなあ、そして これくらいの漢詩を作ったならば、名声もいっそう上がっただろうに。残念なことだよ。
それにしても、道長殿が(どの舟の乗ろうとお思いですか)とおっしゃたのには、我ながら 得意にならずにはいられなかったよ。」
とおっしゃられたということです。
一事に優れていることさえ、まれであるのに、このようにどの道にも抜きん出ていらっしゃった ということは、昔にもなかったことです。
和歌の鑑賞はどうでしょうか?
「嵐」は嵐山と強い風の嵐の掛詞。
「紅葉の錦」は紅葉を錦の織物に見立てる表現です。
後、道長には「させ給ひ」、「せ給ひ」等の最高敬語が使われ、公任には「給ふ」等の普通の敬語しか使われていないのにも注目しましょう。
緑で太字が藤原公任の言ったことです。
和歌と漢文、国語と英語に関して、前回の記事を再掲載します。どうお考えでしょうか?
英語に関して、思い出すのは高校の古文で習う「三船の才」のことです。
「大鏡」にある話で、藤原道長が、「漢文の舟」「和歌の舟」「音楽の舟」の三舟で舟遊びをした時のことです。
藤原公任が「和歌の舟」で皆の称賛を浴びたのですが、この人は「漢文の舟」に乗っていたら、更に名声は 高まって いただろうと言ったのです。
この様に日本では昔から「外国語(この場合は漢文)」を重要視していた のですね。
今の日本でも、国語より英語の方が重要視されているように思えます。
これが良いとか悪いとかいう話ではなく、平安時代には「漢文の勉強」から「国風文化」が華開いたように、現代の日本でも「英語の勉強」 から、新しい文化が華開くかも知れません。